「是非お願いしたいことがありご連絡させていただきました」でモヤっとした件-その①

生きることの実験

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 本日のテーマ 》
「是非お願いしたいことがありご連絡させていただきました」でモヤっとした件。

先日、2件立て続けに、
上記のようなご依頼を受けることがありました。

1つは、
コーチングを学んでいる方のセッションを受けて
ボランティアでフィードバックをしてほしいというご依頼。(ケース①)

もう1つは、
文を書いたので、読んで感想を聞かせてほしいというご依頼。(ケース②)

どちらもメッセージをいただいた時に、
胸の中にモヤっとした感覚を覚えました。


(注:私の感じ方はモヤっとしましたが、
それをご依頼くださった方たちへの否定ではありません。
むしろ気づきを与えていただき、本当にありがとうございます^^)



>> ポイント
感情は自分を理解する入口



ケース①については、
・何故私に依頼が来るのかな?
・コーチングを受けるのは「誰からでも同じ」ではないし、
 正直なところあまり受けたくない。
・フィードバックが期待されているということは、
 プロとしての視点を希望されているのだろうか?
 だとしたら仕事の範疇ではないか?

などなど、疑問がわきます。

ケース②については、
知人からの連絡でしたが、
内容が難しそうで興味が無く、あまり読みたくない……。
ごめんなさい。


そんな時、
普通に「申し訳ございません。私にはできません」と
正直にお断りすれば良いのですが、
この2つの件で、私はモヤモヤに取り巻かれたまま、
随分長い時間を費やしてしまいました。

「お受けしても良いではないか?」
「そんなに時間がかかるものではないかもしれないし……」

「コーチングを受けることは何かの学びになるに違いない」
「先生からは、『利他の精神で生きなさい』と
口すっぱく教育を受けているし……」

「お受けできる環境があるのであれば断るってどうなの?」
「私はケチではないか?」
「折角頼りにしていただいているのだから受けるべきでは?」

書き出したら、お受けする理由はまだまだ出てきそうです。

でも、やっぱり納得いかない。
受けたくない!

苦悩の末、発見した気づき。

《 私の囚われていた思い込み 》
人から頼まれたことは、お受けしなければならない。


以前からうすうす、
「人から頼まれたことは、お受けしなければならない」。
というMYルールがあることは気づいていたのですが、
どうして?


人からのご依頼に
希望を叶えて差し上げたいという気持ちは
私の中に本当にある気持ちです。

そして、それを叶えて差し上げようとするときに、
何故、私の気持ちを犠牲にしてしまうのか?
「私はそれをやりたくないです」という気持ちが
二の次になってしまうのか?


次回に続きます。

>>ポイント
感情は自分を理解する入口。
ご自身の感情に敏感になって、探求してみてくださいね!


お読みいただきありがとうございます。

「生きること」について、ただいま実験中です。
では、また。

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