選ばれることへのあくなき執着

生きることの実験

ご訪問いただきありがとうございます。
「生きること」について、ただいま実験中です。

《 本日のテーマ 》
「選ばれることへのあくなき執着」について。

最近、久しぶりに「面接」(受ける側)を体験して、
数年前に自分が「選ばれる」ことにとても執着していた時のことを
思い出しました。


そのころ私は長期間にわたってあるコミュニケーションの学びをしていました。

その学びは一人のカリスマ講師が運営しているのですが、
新しいプログラムが出来ると、
「先生が受講生の中からアシスタントを選定する」という
仕組みがとられていました。


そして、いつしか私は
「アシスタントに選ばれること」を
強烈に望むようになっていました。

「先生から選ばれる」ということは、
先生から認められる特別な理由があるように思いましたし、
先生から見てそういう存在になりたいと思っていました。



そんなあるとき、
先生が一部の受講生を対象に、
クローズドで新規プログラムを行っているということを
耳にしました。

しかし私にはそのお知らせも無ければ、
アシスタントへのお誘いもありませんでした。


何気なくそのことを話している友人の会話を耳にしながら、
胸がドキンと強烈に痛み、
もの凄い焦燥感と失望感で全身が満たされた記憶があります。



何の焦燥感?何の失望感?
内省して出てきた答えは↓でした。

《 私の囚われていた思い込み 》
私は選ばれない。
そして、私は誰かに選ばれないと生きていけない。

何という思い込み……。
だから必死で先生に選ばれようと思っていたのでした。


どれだけ依存的なのか?
どれだけ自分を弱い存在だと思い込んでいたのか?



久しぶりに「面接」の機会をいただき、
その時の感覚をありありと思い出しました。


今まで、人に選ばれるためにどれだけ努力をしてきたか、
自分を偽り、人から好かれるような自分を演じ(多くは演じきれずに失敗し(-_-;))
どれだけ自分を傷つけてきたかを思い出しました。


で、今、誰にも媚びることなく言いたい。

《 学び・気づき 》
私は人から選ばれなくても生きていける。
誰かが気に入ってくれるように作り上げた偽物の私ではなく、
私が主権を握って、私を生きる。

偽物の私は、本当の私ではないので、
印象が弱いんですよね(汗)


自分で自分の主権を握り、
自分でその責任を取る。
あらためてその決意を思い出した1日でした。


長文、お読みいただきありがとうございます。
「生きること」について、ただいま実験中です。
では、また。

コメント

PAGE TOP