持っていると認めることが怖い

生きることの実験

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「生きること」について、ただいま実験中です。

《 本日のテーマ 》
「持っていると認めることが怖い」

さて、質問です。

Q:こちらのブログトップのジグソーパズルの写真を見る時、
何が一番目につきますか?


「47枚ピースが埋まっていることに目が行きます!」





嘘です。


直ぐに目が留まるのは、
1枚欠けている所です。


—–
実はこの現象、コーチングをしている時
クライアントの皆さまに良く思うことなのです。

(私の内心)
素晴らしいところだらけなのに
どうしてそんな小さなことで
ご自身にNGを出すの???
勿体ない!


—–

そんなことを思っていた矢先に、
それは「私自身の投影だったのでは?」と思う出来事がありました。

参加していたクラス(運動系)が終わって先生から感想を聞かれた時、
「今日も上手く出来ませんでした」と答える私に、
「北さんはいつも出来ないと言いますよね。
出来ていたじゃないですか」と先生からのコメント(汗)。

そうでした!
私は自分に対して「出来ない」「理解していない」「成長していない」等を
言いがちな、少しこじれ気味の1人です。


—–
「持っていると認めることが怖い」
(「出来ていること」「理解していること」「成長していること」などなども含む)


私の中にある思い込み。

《 私が囚われていた思い込み 》
・私が「持っている」と、誰かを傷つける。

物心がついたころ、
(周囲の状況と自分との差に気づき始めたころ)
私が家は他の人より「経済的に貧しいのではないか?」

と思うようになりました。

みんなが普通に持っているものを
私は持つことができない。
「貧しい」ということは、
惨めな気持ちや、悲しい気持ちをもたらすものらしい。

みんなが「持っている」ことを
見るのも聞くのも悲しかった。

だから、大人になった今も
「持っている」とあまり言いたくない。
そのことが人を悲しい気持ちにさせるかもしれないから。


ただ、大人になった今、このことは弊害も大きい。
「持っていない」(「出来ていない」「理解していない」「成長していない」)
ことにフォーカスして自分の全てをそう考えてしまうと、
そこから進歩が無く、
自己否定のスパイラルが続く。


そこで今回はこんな風にまとめてみました↓

《 学び・気づき 》
・私は「持っているものもある」し、「持てていないものもある」。
(「出来ていることもある」し、「出来ていないこともある」
「理解していることもある」し、「理解していないこともある」
「成長していることもある」し、「成長していないこともある」など)
 この理解が真実に近い。

・「持っている」ことが誰かを傷つけるという思い込みは、
実は私が自分を正当化するために都合よく利用していた疑惑が浮上。
この考えを持つことで、いつまでも「持っていない」=「受け身」で
いられるという利得があり、それを満喫していたのではないか?

・「持っている」自分を認めることで、
自分に対する否定的な気持ちが和らぎ、そこから考えることが出来る。
「あなたはあなたでOKだし、私は私でOK!」

慣れ親しんだ思考習慣ですが、
沢山あるピースに自然に目を向けていくことで

どのような変化が訪れるか楽しみにしようと思います!

長文、お読みいただきありがとうございます。

「生きること」について、ただいま実験中です。
では、また。

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